チャンスを逃してはいけないーーー幸せになるために必要なこと
久しく会っていない女性の友人の一人から、結婚・子供ができたとの報告を受けました。
心からおめでたい気持ちを伝えたと同時に、色々と考えさせられたのです。
ひょっとしたら、彼女とそういう可能性があったかも......(誇大妄想?)
すみません。
そんな可能性1%もないです(ゼ、ゼロではないはずです、、、)。
それはともかく、2022年4月5日現在独身の筆者には、過去には他にも可能性があった女性がいました(これはおそらく真実であると信じます)。
しかし少なくとも、そうはなっていません。
少なくとも、結婚はしていません(強がりではありません)。
その原因は何なのか?
多分、色々あるでしょう。
自分に自信がなかった?
奥手だった?、、、、、、(今でも多分そうです、はい)
それとも、、、一人の女性に縛られるような男ではなかったから?
、、、、、、すみません、勘違い野郎だったからですかね?(大正解)
さて、冗談は顔だけにして、おそらく最も大きな決め手というのは、
チャンスを棒に振ったこと
おそらくこれが大きかったのではないでしょうか。
もしあの時、思い切った行動をとっていたとしたら?
もっとうまくゆっくりと距離を縮めていたら?
あるいは逆に、うまくいくかどうかばかり考えず、誠実に思いの丈をぶつけていたら?
はい、心理学者コーネル大学のトマス・ギロビッチ氏の研究結果にもある、
行動した後悔よりしなかった後悔の方が強い
これを経験している方も多いかと思います(号泣)。
そしてこのことを物語っている有名な西洋のことわざがあります。
チャンスの女神は前髪しかない
詳しい由来や意味は、皆さんそれぞれWikipedia等で確認してもらうとして(無責任)。
要は、チャンスはやってきたその時に逃さずつかまなくてはいけない、ということです。
たとえ自信がなかったとしても。
失敗して傷つくことを恐れるよりも。
特に、なかなか行動に移れない人にとってはなおさらのこと。
そのためには、チャンスに向けて常に準備しておくことが必要かもしれません。
それは、そのための準備や努力が必要ということも意味しているのかもしれません。
そうした一つ一つの積み重ねが大きな自信となって、次の行動を後押しすると言えるのかもしれません。
少なくとも、見逃し三振だけはしてはいけません。
でないと、おそらく一生後悔に悩まされるかもしれません。
言葉にできなかった告白
出せなかったラブレター
そんなものは、amazonで入手できる本の1円の価値もありません。
そう、まさに1文の価値もありゃしないのです。
そんなことにならないように。
チャンスが来たと思ったらバッターボックスに立ちましょう。
バットを振りましょう。
でも、、、
ストーカーはやめましょう(人間、引き際も大切です。何より捕まります。そもそも、本当に相手の幸せを願うなら、相手の嫌がることはやめるのが愛する者の務めです)。
ともあれ、チャンスを手に入れる意識・気概・行動がないと、どうなるか。
失敗は本人の酒の肴になるだけでは終わらないのです。
これも有名な真実、そう、
チャンスを逃した者の代わりに、別の人間がそのチャンスをつかむ
これが、酒の大きな、大きな肴になるのです(くれぐれも私のことではありません)。
チャンスはあらゆるところに転がっていて、そのチャンスをつかむのは一握り
こうした真実にも私たちは目を向けるべきでしょう。
そう考えたら、おちおちしていられません。
暇だ、退屈だ、とネットサーフィンをしている場合ではありません。
でも、そうした退屈しのぎでしていたはずのネットサーフィンの中にもチャンスが転がっていたりするから、人生は奥深く、難しい。
また、ここまでの論旨をひっくり返すような、逆のことわざも日本にはあります。
後悔先に立たず
これまた、Wikipedia様等にお世話になって頂くとして(こちらもいつもお世話になっております)。
こちらの要旨は、後で後悔しても取り返しがつかないから、何かをする前には十分に考えてから行動せよ、ということです。
こちらはどちらかというと先ほどとは逆に、後先考えず先走って行動する人向けのことわざと言えるかもしれません。
チャンスの女神は前髪しかない
後悔先に立たず
結局どちらが正しいのでしょうか。
ただでさえ慎重で安全志向と言われることの多い大方の日本人にとっては、前者の方がふさわしいとも言えますし、実際そうした風潮で動いている日本社会にあっては、後者の方がより適応的、とも言えるのかもしれません。
なんのこっちゃ。
皆さん、自分の性格・性質に合わせて、適切に判断しましょう(最後まで無責任)。
人生しくじらないように———人生のPDCA
どうもはじめまして。
人生で多くのしくじりをしてきた元学習塾の塾長、しくじり先生です。
このブログでは、人生のしくじりから気づけることをときにユーモアを交えながら伝えていきたいと思います。
ところで、そもそも人生のしくじりとはなんでしょうか。
人は毎日、実にさまざまなことを自分なりに判断し、決断し、行動していきます。
そうした中で、ちょっとした失敗から取り返しのつかないほどの大失敗まで、人は色々なことを経験していきます。
それが特に大事な場面や局面、大きな節目、なにかの試練においてつまずいてしまった時に、それを人生のしくじりと言うことが多いようです。
さて、人生におけるそうした一番最初の節目、大きな試練とは?
まず思い浮かぶのはやはり、子どもにとって最初の関門と言える、「受験」ではないかと思います。
これに対してどう向き合い、どう乗り越えていくか。
人生のこの「受験」という最初の関門に対する向き合い方で、その後の人生をかなりの部分まで予期出来てしまうといっても過言ではないのかもしれません。
このブログを読んでいる人のほとんどは、これまで何かしらこの受験というものを経験してきていることかと思います。
そしてこの受験に対しては、各自それぞれさまざまな経験があることでしょう。
無事志望校に合格して嬉しかった経験、自分の努力で目標を達成して自信や歓喜にあふれた経験、あるいはうまくいかず悔しかった経験、思うように勉強しないで後悔した経験など、人の数だけ、人生の数だけここに収まりきれない様々な経験や想いがあるかと思います。
そしてそうした経験や想いがおそらく、意識するにしろ無意識にしろ、なにかしらその後の人生に大きな影響を与えているのではないでしょうか。
それほど重要な最初の受験は、おそらく多くの人にとっては「高校受験」がそれにあたるかと思います。
そしてそんな最初の受験での挫折が、その後の人生に悪影響を与えることを親として、大人としては何がなんでも避けたいことでしょう。
ちなみに、以前京都府知事であった蜷川虎三さんが高校全入運動のスローガンとして発した、”15の春を泣かせるな”という言葉は、その後も事あるごとに子を持つ親や教師のなど長く語られてきたことでした。
さて、こうした最初の人生における関門としての高校受験において、ここでシンプルに4つのパターンに分類してみたいと思います。
A.本人の努力が実り志望校に合格するパターン
B.本人の努力にも関わらず志望校不合格になってしまうパターン
C.本人が努力しなかったにも関わらず合格してしまうパターン
D.本人が努力しなかったため不合格になってしまうパターン
さて問題です。このA~Dの中で、
①どれが最もその後の人生において良い結果を予期できるでしょうか。
②どれが最もその後の人生において最も悪い結果を予期できるでしょうか。
(想定解答時間:60秒)
さて、どうでしたか。
これは意外と難しい問題です。というか、おそらく答えはそれぞれの人の数だけ、人生の数だけあると言っていいかもしれません。
おいおい!なんだよ!というそしりを受けそうですが、ちょっと考えてみましょう。
まず①の問題について、多くの人がAを選ぶような気がします。
そりゃそうですよね。
そもそも、努力はおそらく人生においてずっと必要なもの、と多くの人は考えているのではないでしょうか(もちろんそうとは限らないのが人生が奥深いゆえんですが......)。
また、多くの大人は自分の反省も踏まえて、その努力することの難しさをよく知るからこそ、親は子どもに対して努力努力...と叫ばざるを得ないのかもしれません。
そしてそうした努力する一連の過程についての考え方として、いわゆる「PDCAサイクル」があります。
適切な目標設定をし、それを計画として具体的ではっきりした行動目標に落とし込み、それを一つ一つ確実にしっかりと実行する、そしてそれをその都度客観的な振り返り・評価を行い、そしてそれを次の改善に生かしていく。
こうしたPDCAサイクルを回す能力は、社会人にとっての必須能力と強く認知されてきているキーワードです。
受験における志望校合格は、いわばこうしたPDCAサイクルを適切に回せた結果と見なしうる、と考えていいのかもしれません。
そう考えますと、Aはまさにそうした適切なPDCAサイクルを回した結果を如実に表しているようにみえるかもしれません。
しかし本当にそうでしょうか。
ここで気を付けてほしいのは、努力の中身についてです。
どうも多くの親や子どもにとってそうした努力の中身を、あくまで結果から判断してしまいがち、ということです。
はい、結果オーライですね(笑)
でも本当にそれでいいのでしょうか。
逆に、うまくいくことで見えないことがあるのではないでしょうか。
合格できた要因、うまくいった原因は、なにもPDCAサイクルに則ったような正しい努力の結果とは限りません。
・志望校のレベルに元々余裕があった
・倍率が低く受かりやすかった
・普段全く勉強しなくても、テスト前の詰め込みだけで良い成績が取れた
・受験当日たまたま自分の得意な分野の問題が出た
そう、あまり勉強しなくてもいい志望校であったり、ちょっと要領がよかったり(要領の良さと言うのは人生においてかなり重要な側面ですが......)、定員など自分の置かれている状況が恵まれていたり、偶然・まぐれが起こったりすれば、努力の中身に関係なく合格出来てしまうという現実が起こり得るのです。
逆に、不合格にはそれなりの理由・原因があることがほとんどです。
・自分の実力にそぐわない志望校を目標にしてしまった
・ろくに計画も立てずに、思い付きや行き当たりばったりで勉強した
・正しい勉強の仕方、自分に合った勉強法を実行しなかった
・そもそもろくに勉強しなかった、できなかった
・自分の実力、勉強の進捗を冷静に振り返らなかった、志望校を変えなかった
さあ、どちらがその後の人生において、役に立ちそうでしょうか。
はい、明らかに合格した時よりも不合格になった時の方が気付けることが多いですし、それを反省・改善した努力の姿勢の方が、その後の人生において良い結果を招きうることは容易に想像できますね。
ここで改めて、先の問題を振り返ってみましょう。
A.本人の努力が実り志望校に合格するパターン
B.本人の努力にも関わらず志望校不合格になってしまうパターン
C.本人が努力しなかったにも関わらず合格してしまうパターン
D.本人が努力しなかったため不合格になってしまうパターン
①どれが最もその後の人生において良い結果を予期できるでしょうか。
②どれが最もその後の人生において最も悪い結果を予期できるでしょうか。
上の考察を踏まえると、①の答えは、どうもAとは言い難いように思えます。
むしろ、失敗を反省し、それをその後の人生において生かすことを考えれば、BかDのような気がしてきます。
ここで、「努力の中身のブラッシュアップ」という点に着目すればBになりそうですし、「反省からの改善」に力点を置けば、Dが正解になってきそうです。
もちろん、そもそも「努力の中身」を判断するのが難しいだけで、それを人生の初期からしっかりと実行できているのであれば、当然Aが正解、ということが強く考えられます。
なんのこっちゃ。
ここで蚊帳の外に置かれていたCについてはいかかでしょうか。
はい。
おそらくCは②の正解、つまり、最も人生の悪い結果を予期することになりそうです。
そう、「棚からぼたもち」的な合格では、全く学びも気づきも得づらいのです。
しかも、その「棚からぼたもち的人生」をそのまま続けていけば、よほどその強い強運で生きていける特殊な人を除けば、そのうち行き詰まることは目に見えてきそうです。
特にそれが人生の後半になればなるほど、取り返しがつかなくなってくる。
よく言われますよね。
「いくつになってもやり直すことはできる」
確かにそこにはある種の真実がある気がします。
人生今までの後悔・反省を踏まえて、人生をやり直す。
そうした生き方を私も肯定しますし、何度でもやり直せると本気で思いたいです。
でも同時に、こんな言葉も耳にすることはないでしょうか。
「始めるのは早ければ早いほどいい」
そう、これもある種真実ですよね。
やり直したくてもやり直せないことはありますよね。
まさか、40歳を超えてからプロ野球で活躍したいと言っても、多くの人は一笑に付すでしょう。
もちろん、それまで陰ながらたゆまぬ努力を重ねてきたのであれば、ひょっとしたらどこか拾ってくれる球団が1つぐらいはあるかもしれません。
しかし果たして、そこで十分に活躍できるのかどうか。
何をもって活躍と言えるのか。
ひょっとしたら1試合ぐらいは、まぐれで逆転サヨナラホームランを打つことも可能かもしれません。
しかしそんなことが現実的に実現可能かどうか。
そもそも1本のホームランを打つどころか、たった1試合「プロ」として出場することすら困難かもしれません。
もし可能だったとして、それで自分のやり直してきた人生にけりをつけることができた、というのであれば、それはその人の人生ですから、まわりがどうこう言うたぐいのことではないのかもしれません。
だとしても、それはどこかで自分の夢のレベルを下げることを意味しているのかもしれません。
そう、時間が経てば経つほど、可能性はますます少なくなっていくという厳しい現実と向き合わなければならないわけです。
そう考えると、その後の人生をより良いものにしていけるかどうかはつまるところ、なるべく早い時期に自分のことを知ることに尽きるのかもしれません。
自分の身の程、器、実力。
自分の癖、傾向、気質、性格、個性。
何が得意で何が苦手なのか。
何が好きで何が嫌いなのか。
何に興味を感じて、何に無関心なのか。
自分のやりたいこと、やりたくないこと。
自分の夢、目標、志、役割、使命。
自分にあった努力の仕方、自分にあった才能・能力の伸ばし方。
何に向いてそうで何に向いてそうでないのか。
どういうことに力を注ぐべきなのか、しなくていいことは何なのか。
これらをなるべく早い段階から色々と試行錯誤しながらその都度ときに柔軟に自分を変えていく、成長させていく。
まさに「自己のPDCA」すなわち「人生のPDCA」と言っていいかもしれません。
これらを完全にできる人など、おそらくほとんどいないかもしれません。
でも言い換えれば、これらを少しでも理想に近づけていくことが、他の人より一歩前に抜きんでることにはなりそうです。
たとえそうならなくても、少なくとも理想の自分、理想の人生に近づくことにはなりそうです。
少なくとも、人生にしくじることはなさそうです。
さてかくいう私は、果たして理想の自分、理想の人生に近いと言えるのでしょうか?
おそらくその答えは、こうした文章を書いている時点で分かり切っていることでしょう。
なにしろ、しくじり先生ですからね。